トリノオリンピックも中盤に来た。 なかなかメダルを取れない日本勢。こうなると、夜更かしのモチベーションがだんだん維持できなくなってしまうところだ。それでも、4年に一度の祭典を楽しまないわけにはいられない。なんだかんだで、夜中前のスポーツニュースのダイジェストも、結果が良くないからか割かれる時間は短い。それがまた、もどかしいのである。 さて、メダルに届かないという現実について。 スポーツナビから引用するが、 ***** 鈴木恵一監督はこう言う。 「力のある人間が負けるというのは残念ですね。 五輪というのは、力があっても運命とかみ合ってくれないとダメなんです」 ***** 運命という言葉。納得できる部分も、確かにある。ただ、今回の中継を見ていて、全体的に今回の五輪での戦いにおいて欠けている点は、運命だけではない。 それは、勝つ、という意欲の不足に感じるのだ。 運命が必要なら、それを絶対に自分が掴んでやろう、という意思が欠けているように思う。 テレビの前で素人が勝手なことを言ってると思われるのを承知で、もう少し書いておくと、例えば解説者である強化コーチの言葉。 「これまでどおり、いつもどおりの滑りをすればチャンスはあると思います。」 もし自分が、この方の目の前にいたら、迷わず反論するだろう。そんな気持ちでメダルが取れるほど、五輪は簡単ではないのだと。4年に一度の一発勝負が、いつもどおりにいくほど簡単なら、スポーツなど面白くない。それまでの実力を超えるための集中力でもって、爆発的にアドレナリンを分泌できなければ、勝てなくて当然だ。他国に比べてナショナリズムの薄い日本人であれば尚更のことだ。それに対する認識がコーチ陣にないのが問題なのだ。 ここ最近の夏冬のオリンピックで、「金メダルを獲る」と公言して、見事に金メダルを獲ってきた日本人は、自分が覚えている限り、 谷 亮子 北島 康介 この2人くらいかもしれない。「メダルを狙う」という言い方をしていた選手は多い。「狙う」と「獲る」では全然違う。冬季オリンピックの選手たちは、谷、北島の両選手に、五輪で金メダルを獲ることがどういうことなのかを、直接聞くべきではなかったか。五輪で勝つためには、どれだけ自分を追い込み、高め、本番で実力以上の力を出すか、それがどれだけ大変なことか、助言をもらうべきだったのではないか。 世界に誇れる日本人アスリートは、数少ない。北島、谷は、そういう話が来れば、心から喜んで力を貸したに違いない。精神力の強さがなければ、五輪を勝つことはできない。そんなことは充分分かっているはずなのに、実績に慢心になる。世界記録保持者の加藤も、気楽に構えすぎたのではないか。外野から見て悲壮感が漂うくらいの努力なくして、五輪の金メダルは奪えない。だからこそ、五輪の金メダルは他の世界大会とは比較にならない格別の価値を持つ。谷も、北島も、それにとことんこだわったから、頂点を極めたのだ。 例えば、スノーボード・ハーフパイプの成田童夢。敗れて流した涙に、ようやく五輪という戦いの険しさを体感したに違いない。スキー・ジャンプの岡部。W杯では表彰台の常連なのに、ノーマルヒルであの惨敗。五輪で「いつも通り」に飛ぼうと思っているのならば、ラージヒルでも結果を残すことはできないだろう。思えば長野五輪では、原田の失敗ジャンプによって、今回は自国開催だけに絶対に負けられない、という極限まで追い込まれたプレッシャーが生まれたからこそ、あの逆転劇を生んだのかもしれない。原田の前に大ジャンプの口火を切ったのは、他ならぬ岡部だ。8年前のあの気持ちを思い出してくれればいいのだが。 逆に、スノーボードクロスに女子で初参戦する藤森由香。大会前のインタビューで、彼女はこう言っている。 「自分にとっては、遊びの延長。五輪も、遊びに行くような感じ」 本人がどう思っていても構わないが、彼女は完全にアスリートとして失格だと思う。五輪に遊びに行くつもりなら、日本代表選手を名乗る資格は無い。少なからず国費が使われている国同士の実力を競う大会に、そんな気持ちでいる人(もはや選手とは書けない)を選んでしまうことも残念だ。他の選手からも「五輪を楽しむ」という言葉は聞かれる。しかしそれは、真剣勝負が快感である、という意味でなくてはならない。例えば、6月に行われるサッカーW杯。もし、日本が予選リーグで簡単に敗退したとして、「サッカーを楽しんだ」「遊びの延長です」などと選手がコメントしたとしたら、成田空港でタダではすまないのは間違いない。 国を代表する戦いというのは、そういうものなのだ。出場するからには、それまでの自分の実績以上のものを一発勝負で爆発させる。それができないのであれば、最初から五輪に出場しないで欲しい。実力が及ばなくても、自分のベストを出し切るための最大限の努力をおこなえて初めてアスリートなのだから。 だからこそ、我々は彼らを尊敬し、応援するのだ。 今回の五輪の結果が悔しいものになるのならば、長野五輪の時のように自らを追い込むことをもう一度思い出し、実力と精神力を磨いてバンクーバーに臨んで欲しい。 もちろん、自分の夜更かしな日々は、まだまだ終わらない。 #
by beyond6690
| 2006-02-17 03:08
| Think about Sports
いよいよ、ホリエモン逮捕である。 日本は法治国家だ。法の下に過ちを犯せば、等しく裁きに合うだけのことだ。それ以上でも、それ以下でもない。 で、今日の「報道ステーション」だ。 この報道の仕方。これまで時代の寵児のごとくもてはやしてきたくせに、ザマアミロ的な罵倒報道をこれでもかと繰り返す見事なまでの手のひらの返し方。 報道ステーションの関係者、あなた達のほうが、よっぽど人間のクズだ。そういう罵り言葉だけは本当に達者で終わることが無い。聞いているだけで反吐がでる、あなた方の報道の仕方に。 で、音声を消してみる。ミュートってヤツ。 罵倒は終わらない。たたみ掛ける字幕スーパー。 「堀江容疑者、拘置所では-2℃の独房に。」 どこまで人間の尊厳を踏みにじれば気が済むのだろう。 まだ、ホリエモンは犯罪者じゃない。容疑者である。逮捕された後にどこに拘置されたかまで報道された逮捕者がいただろうか。最初に書いたが、ホリエモンは法治国家である日本人として、法の下に過ちを犯した一人として、等しく裁かれるだけなのだ。 もちろん、国民も本当にバカになってるわけではないから、今回の捜査が「みせしめ」であることは薄々わかっている。 つまり、「等しく」ではない。今頃、自社の証拠書類を一生懸命隠滅している同業者も沢山いることだろう。ホリエモンは世渡りに無頓着だったが故に吊るし上げられたに過ぎない。 今回の報道のやり方が真に正しいと思う日本人がいるなら、それはとても残念なことだ。犯罪者になった人間の尊厳を否定することは個人の考えだから構わないと思う。そうであるなら、死刑宣告が決まっても「何かの間違いだ」と言ってのける宮崎被告が15年以上ものうのうと生き続けていることを、そして彼に対する報道のされかたをどう考えるのか答えて欲しい。 宮崎事件。 幼い子が次々と誘拐され、殺された。被害者は、子供たちを知る人々。殺人者は、今ものうのうと生きている。 耐震構造偽造事件。 被害者ははっきりしている。マンションを買ってしまった人達。明確な被害者が存在する。まだ東京地検特捜部は、未だその加害者を明確にすることもできずにいる。 ホリエモン逮捕。 ホリエモンは私腹を肥やしたという。法に背く形で。でも、その事件で格段の被害にあったという被害者は明確ではない。それよりも、今回の捜査で一斉に値下がりした株価のせいで被害にあった個人投資家が山ほどいるのは皮肉なことである。個人投資家の損金は、結局大金を動かせるごく少数の人達の懐に納まることになった。もちろん報道はされないのだが。 ライブドアショックは、特捜部のやり方によっては、経済にここまでの悪影響を与えずに実施できたはずだ。その点に対する責任が東京地検にあることはしっかりと認識されるべきだと考える。容疑者に非難と罵声を浴びせることだけが生きがいのメディアが、そんなことを考えるはずがないことも、残念ながらわかっている。 もちろん、早々にテレビの電源は切ってしまったわけだが。 #
by beyond6690
| 2006-01-23 23:37
| 時事の関心事など
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